大阪地方裁判所 昭和61年(行ク)33号 決定
申立人
文銀三
申立人
金愛玉
申立人
文香淑
申立人
文裕孝
申立人
文裕亨
右申立人文香淑、同文裕孝、同文裕亨
法定代理人親権者父
文銀三
母
金愛玉
右五名代理人弁護士
中北龍太郎
被申立人
大阪入国管理局
主任審査官
長谷川清
右指定代理人
竹中邦夫
同
浅利安弘
同
松原住男
同
法川隆弘
同
三島孝雄
同
細見茂
同
根本利夫
同
松迫耕始
主文
一 本件申立をいずれも却下する。
二 申立費用は申立人らの負担とする。
理由
一申立人らの申立の趣旨及び理由は、別紙(一)記載のとおりであり、被申立人の意見は、別紙(二)記載のとおりである。
二当裁判所の判断
1 本件記録によると、被申立人が申立人らに対し、昭和六一年二月一〇日付で退去強制令書を発付し(以下「本件令書発付処分」という。)、次いで、右令書の執行として、右同日、申立人らは大阪入国管理局(以下「入国管理局」という。)に収容されたが、申立人文裕亨(以下「申立人裕亨」という。)の病気治療の必要性の考慮により、申立人文銀三(以下「申立人銀三」という。)を除くその余の申立人らは右同日、申立人銀三は同月一四日、それぞれ仮放免を受け、肩書住居地で生活していたが、同年一一月一七日、申立人らは、仮放免の期間満了のため再び入国管理局に収容され、次いで、同月二四日、大村入国者収容所に移送され、近日中に申立人ら全員が韓国へ強制送還される予定であることが一応認められ、また申立人らが、法務大臣及び被申立人を相手方として、当裁判所に対し、法務大臣が同年一月三〇日付で申立人らに対してした出入国管理及び難民認定法(以下単に「法」という。)四九条一項に基づく異議申立を理由なしとした裁決(以下「本件裁決」という。)及び本件令書発付処分の各無効確認の訴えを提起(当裁判所昭和六一年(行ウ)第七五号)し、現在審理中であることは、当裁判所に顕著な事実である。
2 次に、本件記録によれば、次の事実が一応認められる。
(一) 申立人銀三は、昭和二三年七月二三日、韓国済州道北済州郡旧左面細花里一四四五番地において、いずれも韓国人である亡父文允桓、母金順女(戸籍上の母は、方奉善)との間に出生した韓国人であり、同地の国民学校を卒業し、中学校課程の通信教育を受けながら働いていたが、一六歳のころから尿道障害となり、生活苦等のため十分な治療が受けられず、その治療の目的で志願した軍隊も不合格となつたため、日本で稼働し、資金を得て、右病気を治療しようと考え、昭和四四年八月ころ、本邦に不法入国し、大阪府下でプラスチック原料製造工等として稼働するうち、出稼ぎ目的をもつて不法入国し、潜在居住中であつた申立人金愛玉(以下「申立人金」という。)と知り合い、昭和五一年春ころから大阪市生野区内で同居し、昭和五二年四月、結婚した(韓国の戸籍への記載は昭和五三年三月一四日)。申立人銀三と申立人金との間には、昭和五三年一月三日、申立人文香淑(以下「申立人香淑」という。)が出生したが、申立人銀三は、同年三月一五日、外国人登録法違反により逮捕され、同年四月二六日、大阪地方裁判所で、同法違反罪により懲役八月(執行猶予二年)の判決を受け、さらに法二四条一号に該当するとの認定を受け、同年五月二日退去強制令書が発付されたが、当時、申立人銀三は、親子ともども韓国で暮らそうと考え、早期に帰国して妻子を韓国に呼び戻す準備をすべく、同年六月、自費出国の手続により本邦から退去した。なお、その間、申立人金は、出産のため別居していたことなどから、不法入国の発覚に至らなかつた。このようにして、申立人銀三は、韓国へ戻つたものの、適当な職もなく、生活の目途が立たなかつたことや、日本に残した申立人金らの生活が心配になつたため、やはり日本で稼働し、妻子と同居しようと考え、再び本邦に行くことを決意し、昭和五三年八月初旬、有効な旅券または乗員手帳を所持せず、船舶で本邦に不法入国し、まもなく妻子と再会して、当初は大阪市東住吉区内の借家に、昭和五七年六月ころからは肩書住居地に居住して、製靴下請業を営むようになつた。
(二) 申立人金は、昭和三〇年六月三〇日、韓国済州道北済州郡朝天面新興里五九〇番地において、いずれも韓国人である父金晩植、母朴于蘭との間に出生した韓国人であり、同地の国民学校を卒業後、家業の農業の手伝いをしていたが、生活が苦しかつたため、先に韓国から本邦に不法入国し、潜在居住中であつた姉金基順を頼つて出稼ぎの目的をもつて本邦に行くことを決意し、昭和四七年一二月ころ、有効な旅券または乗員手帳を所持せず、他の密入国者と共に船舶で本邦に不法入国し、大阪市生野区内でヘップ工として稼働していたが、そのうち前記のように申立人銀三と交際するようになり、同申立人と結婚した。
(三) 申立人香淑は、昭和五三年一月三日、同文裕孝(以下「申立人裕孝」という。)、同裕亨は、昭和五六年一二月二五日(双生児)、いずれも大阪市生野区内において、申立人銀三と同金を両親として出生した韓国人であるが、申立人香淑は、在留資格取得の許可申請をすることなく、また、申立人裕孝、同裕亨は、当初、健康保険加入の必要などから、申立人銀三らの知人であり、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」に基づく永住許可(以下「協定永住許可」という。)を受け、本邦に在留していた宋文子の非嫡出子として、偽つて出生届がなされ、申立人裕孝らも協定永住許可を受けていたが、本件不法入国発覚後の昭和六〇年二月五日、申立人銀三らの申立により、大阪家庭裁判所において、申立人裕孝、同裕亨と右宋文子との間に親子関係が存在しないことを確認する旨の審判がなされ、同年三月一二日には、申立人裕孝らの協定永住許可も取り消されたため、その後、右申立人両名は、いずれも法定の期間を超えて本邦に不法に残留することとなつた。
(四) 申立人らの不法入国及び残留が入国管理局に発覚後、調査の結果、入国審査官は、昭和六〇年五月一三日、申立人銀三について法二四条一号該当、同月一六日、申立人金について法二四条一号該当、前同日申立人香淑、同裕孝、同裕亨について法二四条七号該当の認定を行なつた。これに対し申立人らは、いずれも特別審理官に口頭審理を請求したので、同審理官は、同人らの口頭審理を行なつた結果、同年六月一三日、入国審査官の前記各認定には誤りがない旨判定し、その旨を同人らに通知した。そこで申立人らは右判定に対し法務大臣に異議の申出をしたところ、昭和六一年一月三〇日、異議申出はいずれも理由がない旨の裁決がなされ、この旨の通知を受けた主任審査官は、同年二月一〇日、本件裁決結果を申立人らに告知するとともに本件令書発付処分に至つたものである。なお、申立人銀三、同金は、いずれも昭和五九年一二月二七日、外国人登録法違反の罪で大阪地方裁判所に起訴され、申立人銀三は、昭和六〇年二月二八日、懲役一年(執行猶予三年)、申立人金は、同月二二日、懲役六月(執行猶予二年)の判決の言渡しを受け、同判決は、いずれも確定した。
(五) 申立人銀三、同金は、昭和五三年八月ころから、夫婦で製靴下請業を営み、最近では、従業員二名を使い、月四〇万円位の収入を得ていたものであり、預金等の貯え約一七〇〇万円、製靴用の機械三台(時価約一二〇万円相当)があるが、そのほかには、本邦内にも本国にも預貯金、不動産等の資産はなく、また右申立人両名とも、申立人香淑ら三名の子以外には、本邦で扶養すべき係累はない。なお、申立人香淑は、現在小学校二年生、同裕孝、同裕亨は、幼稚園児であり、いずれも大阪市生野区内の小学校、幼稚園に通つている。申立人銀三の他の親族としては、本邦に母の弟金大広、父の妹文(名前不詳)が居住しており、本国には実母金順女、実弟文銀賛、異母兄弟四人が、いずれも済州道内に居住している。また申立人金の他の親族としては、本国に実父金晩植、実母朴于蘭、実姉金基順、実兄金基東、実弟金基奉が、いずれも済州道内に居住している。
(六) 前記のように、申立人銀三が本邦に不法入国(一回目)した目的の一つは、尿道障害の治療であつたが、同申立人は、昭和四六年一二月と昭和四七年五月、二度にわたり、大阪大学医学部附属病院で、尿道狭窄根治術等の手術を受け、その後昭和四八年一二月ころまで同病院に通院し、さらに二回目の不法入国後、術後性尿道狭窄に伴う急性膀胱炎のため、昭和五九年一一月から一二月にかけてと、昭和六〇年五月に同病院に通院加療したが、現在は、主として投薬のみを続けている状態である。なお、同申立人の術後性尿道狭窄症は、韓国でも治療可能の見込である。また申立人裕亨は、尿道下裂という先天性尿道奇形のため、昭和五九年一二月一八日、兵庫医科大学病院で、尿道管切除術と亀頭部尿道形成術を施行され、さらに仮放免後の昭和六一年四月二三日、同病院で尿道形成術を施行された。その新しく形成された尿道は、包茎及び陰茎皮膚を利用して作成されたもので、術後一年間は、瘢痕形成のため尿道狭窄の発症のおそれがあり、尿道狭窄が起きた場合、排尿困難、尿道膀胱炎から慢性腎孟腎炎を伴う可能性があること、その他右尿道形成術の施行に伴い、合併症併発の危険も予測されたため、術後三か月から六か月間は経過観察が必要とされていたが、現在は一応無事その期間を経過し、月一回位病院に通院する程度である。もつとも、右手術に伴い、外尿道口は、陰茎の根部にあり、立つたままの排尿は難かしいことなどから、同申立人につき、同病院ではもう一度手術を予定しており、その術後三か月間は抗生物質療法が必要とされ、また同申立人が思春期に入るまで、年に一、二回の睾丸機能検査も必要である。その他同申立人は、未熟児で出生したこともあり、精神発達遅滞、左顔面神経麻痺、右側及び左側の難聴、先天性右側下口唇筋麻痺等の障害があり、仮放免後の昭和六一年二月二五日、関西医科大学附属病院で、粘膜下口蓋裂につき、口蓋形成術を施行され、これについては軽快退院したが、今後も、脳波及び眼輪筋反射、口輪筋反射の検査が必要である。なお申立人裕孝にも眼瞼に腫瘤のできる病気がある。
(七) 入国管理局では、前記のように、申立人裕亨が、尿道疾患で、相当期間特定の病院で、高度の医療技術を持つ専門医から継続して治療を受けてきたこと、今後とも治療を要する事態が生ずることも予測されることなどから、同申立人の本邦での右治療を目的とする入国の申請があつた場合には、退去強制後の上陸拒否期間(法五条一項九号)内であつても、法務大臣による上陸特別許可(法一二条一項)等により、短期間の入国を認める方針であり、昭和六一年一一月一七日、申立人銀三に対し、その旨及びその場合には韓国日本領事館へ入国申請するよう伝えた。
以上の事実が一応認められる。
3 前記2の認定事実に照らせば、申立人銀三、同金は、いずれも法二四条一号に、同香淑、同裕孝、同裕亨は、いずれも同条七号に、それぞれ該当することが明らかであるが、申立人らは、前記本案訴訟において、本件裁決及び本件令書発付処分は、申立人らの不法入国の経緯、本邦への定着性、さらに申立人裕亨らの健康状態等に照らし、また日本国憲法前文、一三条、二二条、二五条の趣旨や、従前の法五〇条に基づく特別在留許可(以下「特在許可」という。)に関する運用基準等に鑑み、法二四条に定める裁量権あるいは特在許可についての裁量権を著しく濫用するものであるから無効である旨主張している。
しかしながら、入国審査官は、容疑者が法二四条各号に該当すると認定したときは、すみやかにその旨を主任審査官に知らせなければならず(法四七条二項)、それに対し、容疑者から不服申立のなかつた場合、あるいは、特別審理官に対する口頭審理の請求(法四八条)、さらに法務大臣に対する異議の申出(法四九条)等の不服申立があつても、それらが理由がないと判定、裁決された場合には、主任審査官は、すみやかに退去強制令書を発付しなければならない(法四七条四項、四八条八項、四九条五項)のであつて、法二四条各号該当者に対する入国審査官の認定、特別審理官の判定及び右異議の申出の理由の有無を判断する法務大臣の裁決とそれに引き続く主任審査官による退去強制令書の発付は、いずれも自由裁量の余地のない、いわゆる覊束行為であると解されるから、本件裁決及び本件令書発付処分に、法二四条に定める裁量権の濫用がある旨の申立人らの主張は、それ自体失当である。
次に、法務大臣が申立人らに特在許可を与えなかつたことが裁量権の著しい濫用であり、本件裁決及び本件令書発付処分の無効をもたらす旨の申立人らの主張について検討するに、行政処分が無効であるというためには、当該処分に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければならず、またその瑕疵が明白であるか否かは、処分の外形上、客観的に誤認が一見して看取しうるか否かにより決すべきものであるところ、本件で右処分にこのような無効事由があるものとは認め難い。すなわち、そもそも特在許可を与えるか否かの判断は、法務大臣の広汎な自由裁量に属する行為であり、それが裁量権の濫用あるいはその範囲の逸脱があるとして違法とされるのは、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により、判断が全く事実の基礎を欠くとか、事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により、右判断が社会通念に照らし、著しく妥当性を欠くことが明らかであるというような例外的場合に限られるところ、前記2の認定事実からすれば、たしかに申立人銀三、同金らは、いずれも延べ一〇年以上本邦で生活し、経済的な生活基盤も確立していること、また申立人香淑ら三名の子供はいずれも日本で出生し、本邦での生活に馴染んでいる様子であること、さらに申立人裕亨の尿道疾患は、今後も再手術等が予測されるところ、それらの治療は、高度な医学技術を有し、かつこれまで同申立人の右疾患の治療にあたつてきた本邦の病院がこれにあたることが最も望ましいことなど申立人らのため配慮すべき事情も認められるけれども、他方、申立人銀三は、過去にも不法入国者として、退去強制手続を受けたことがあること、申立人銀三は、前記のような疾患はあるものの、申立人金とともに、十分稼働能力を有し、かつ、多額の資産を有しているうえ、右申立人両名とも、本邦に不法入国以前は、韓国で出生、生育、稼働していたものであつて、現在も右申立人両名の親族のほとんどは韓国に居住しており、申立人らが送還後本国で生活するのに特段の支障はないと考えられること、また申立人裕亨の尿道疾患の再手術等の問題にしても、それらを本邦の病院で行なう必要が生じた場合、入国管理局としては、そのための入国を、送還後一年以内であつても、法務大臣の特別上陸許可という形で認める意向であり、その旨を申立人らにも伝達していること、なお申立人らの前記のような資産状態からすれば、右のような日本への再入国による治療も経済的に十分可能であると考えられることなどの諸事情も認められるのであり、これらを総合勘案すれば、本件裁決が著しく人道上の配慮を欠く等裁量権の濫用あるいはその範囲の逸脱があるとは認め難く、ましてそのような瑕疵が外形上、客観的に看取できるとは到底いえないのであるから、本件裁決及び本件令書発付処分に重大かつ明白な瑕疵があるということはできない。
4 以上によれば、本件各処分が無効であるということはできず、本件申立は、行訴法二五条三項の「本案について理由がないとみえるとき」に該当するといわねばならない。
三よつて、その余の点について検討するまでもなく、本件執行停止の申立は、いずれも理由がないからこれを却下し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官山本矩夫 裁判官及川憲夫 裁判官村岡 寛)
別紙(一)申請の趣旨
被申請人が昭和六一年二月一〇日付で、申請人らに対して発した退去強制令書にもとづく執行は、本案判決が確定するまでこれを停止する。
との裁判を求める。
申請の原因
第一 被申請人の行政処分がなされるまでの経緯
一 申請人文銀三(昭和二三年七月二三日生)と申請人金愛玉(昭和三〇年六月三〇日生)は夫婦であり、申請人文香淑(昭和五二年一月三日生)は夫婦の間の長女、同文裕孝(昭和五六年一二月二五日生)は長男、同文裕亨(昭和五六年一二月二五日生)は二男であつて、いづれも大韓民国籍を有する者である。
二 申請人銀三は昭和四四年八月に旅券なしで本邦に入国し、同五三年三月に不法入国の事実が発覚したため、同年八月韓国に一旦自費出国したものの、同月中に再び旅券なしで本邦に入国して、引続き大阪市で居住してきた者であり、申請人愛玉は昭和四六年一二月に本邦に入国して、その後引続き本邦で居住してきた者である。
申請人銀三と同愛玉は昭和五二年四月に婚姻し、申請人香淑・同裕孝・同裕亨は、不法入国者である右夫婦の子供としていづれも出生し、出生時以来本邦で居住してきた。
三 被申請人は、申請人銀三・同愛玉については出入国管理及び難民認定法第二四条第一号に、その余の申請人らについては同法同条第七号にいづれも該当するとして、昭和五九年一〇月三一日に申請人らを大阪入国管理局に収容した。
申請人らは、出入国管理及び難民認定法所定の手続を経て、同法第四九条にもとづき法務大臣に対し異議の申出をしたが、法務大臣は昭和六一年一月三〇日付で右異議申出を棄却する旨の裁決処分をなし、更に被申請人は右裁決にもとづき申請人らに対し、昭和六一年二月一〇日付で退去強制令書発付処分をなすに至つた。
四 申請人らは、その後仮放免を得ていたが、昭和六一年一一月一七日に再び大阪入国管理局に収容された。申請人らは間もなく大村入国者収容所に移送されたうえ、近日中には強制退去を執行される状態におかれている。
第二 裁量権の著しい濫用による処分の無効
一 裁量権の濫用について
1 法第二四条は「左の各号の一に該当する外国人については、第五章に規定する手続きにより本邦から退去を強制することができる」と定めているが、その法意は、出入国の問題は、国際政治的、民族的、歴史的な諸事情のからみあつた渉外問題であり、かつ人道上の問題にも深いつながりをもつので、形式的に退去強制事由を定め、形式的にこれを執行することには種々の不合理が生ずることから、退去強制をするかしないかについて裁量の余地を設けたものである。
2 法五〇条第一項三号もこれを受けて、かりに不法入国その他法二四条各号に該当する事情が明らかな場合でも「法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」は、その者の在留を特別に許可することができると定め、法五〇条三項でその時は異議の申出が理由がある旨の裁決とみなしている。
3 そして、右裁量にあたつては、法二四条第四号が「法務大臣が日本国の利益又は公安を害する行為を行つたと認定する者」と定めていることから推認出来るごとく日本国の利益を真に損つたかということが一つの基準として考慮されなければならない。
4 憲法前文は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と規定し、平和のうちに生存する権利を保障している。また、憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」として、個人の尊厳を規定している。又、憲法二五条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定め、生存権を保障している(この生存権は、社会的人権の側面が強調されているが、国家から健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を侵害されないことを保障した自由権的側面を有することは学説・判例の認めるところである)。
しかるところ、平和のうちに生存する権利、個人の尊厳保障規定及び自由権としての生存権は、いずれも、わが国に在留する外国人に対してもその保障が及ぶ。なぜなら、人権が前国家的・前憲法的性格を有していること及び憲法の国際主義的立場から、外国人に権利の性質上保障を及ぼすのが適当でないものを除き外国人にも保障が及ぶのが当然であり、前記人権は何らその支障がないからである。外国人の人権保障について、最二判昭25.12.28民集四・一二・六八三、最大判昭32.6.19刑集一一・六・一六六三、最大判昭32.12.25刑集一八・九・五七九等最高裁判例の採用するところである。
更に、憲法二二条は、「何人も公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」と規定し、居住の自由を保障している。この居住の自由も、権利の性質上外国人にも適用があることに疑いは無く、最高裁昭和三二年六月一九日判決も、「外国人であつても日本国に在つてその主権に服している者に限り及ぶ」ことを明言している。
平和のうちに生存する権利、個人の尊厳、自由権としての生存権及び居住の自由を保障した憲法規定は、外国人に日本国にひきつづき在留権を求める権利、すなわち在留権を保障しているものである。
5 実際にも、この特別在留許可制度は柔軟に運用され、日本への定着性等を考慮して多くの人々がこの制度の適用を受けている。この運用の中から自らその基準が形成されている。
6 特別在留許可の運用は、決して恣意的なものであつてはならず、人道に反し人権を蹂躪する処置あるいは従前の運用基準に反する場合には在留権を侵害しその濫用となり違法と評価されるのである。
二 本邦入国に至るまでの経緯
1 文銀三関係
(一) 銀三は、父文允桓母金順女の間の婚外子として、昭和二三年七月二三日に本籍地で出生した。当初戸籍の届出は実父の妻、方奉善との間の子供としてなされていたが、銀三らの申立による親生者関係否存再確認審判事件において銀三と方奉善との間の親子関係の不存在が昭和六〇年三月三日に確定し、銀三の母は金順女であることが戸籍上も明らかにされるに至つている。
(二) 銀三の父は八人の子供をもうけている。銀三は第六子にあたる。その子供達のうち、第三子までは戸籍上の妻との間の嫡出子、第四子は他の女性との間の婚外子、銀三を含む第五子から第七子までは金順女との間の婚外子、第八子は更に別の女性との婚外子であり、結局文允桓は四人の女性との間に八人の子供をもうけたことになり、銀三の成育環境は複雑だつた。
(三) 銀三は戸籍上の母のもとで成長したが、血の通わない間柄とて、ことごとに冷遇され、義務教育終了後は下男の如く酷使された。
銀三は一六才の時、高所からの転落により尿道切断の傷害を負つたが戸籍上の母は加療させようとせず、そのため銀三の病状が悪化し、生命が危ぶまれるようになつて、見かねた近隣の人の抗議によつてやつと入院をさせるというありさまだつた。
(四) 右の如き状態でしたので、銀三は完治するまでの加療は受けさせてもらえず、退院後は再び家業の農業に酷使され、尿道障害の再発・後遺症に悩まされたのである。
たまりかねた銀三は戸籍上の母の家を抜け出して実母金順女に助けを求めた。金順女は銀三の加療のため懸命の努力をしてくれたが、同女自身一部屋を間借りし海女をして細々と糊口をしのいでいる状況にあり、充分な治療をさせることは到底不可能だつた。
銀三は軍の病院で治療してもらうことも考え、そのため成人に達すると直ちに兵役志願を致しましたが、尿道障害のため身体検査で不合格となつた。
(五) 銀三は万策つきて、身体をなおすためには就職口のある日本に行つて働き、資金を得たうえで技術の進んだ日本のお医者さんに治療してもらうほかないと考えるようになつた。銀三の父は戦前長い間大阪市で生活をしていたことがあり、銀三の長兄は日本で出生している。また銀三の母の弟金大公は日本に居住していた。そういう家族状況の中で、銀三にとつて日本は身近な存在であり憧れの対象であつた。
かくして銀三は身体治療の目的で昭和四四年八月に本邦に不法入国したのである。やつと、成年に達したばかりの二一才の時のことであつた。
(六) 本邦において銀三は真面目に働き、治療の資金も蓄えて、昭和四六年には大阪大学附属病院で尿道狭窄根治術等の手術も受けることができた。
昭和五二年四月には金愛玉と結婚し、同五三年三月文香淑も出生した。韓国での冷たい環境下での日々と比較すると密入国をしているという罪の意識に常にさいなまれている点を除いては、幸福な日々であつた。
(七) 右のような状況下の昭和五三年三月不法入国の事実が発覚し、銀三は同年八月に本邦より自費出国した。妻は出産直後で知人宅に身を寄せており、不法入国が発覚したのは銀三のみであつた。銀三は韓国において働いていずれ妻子を呼び寄せたいと考えて自費出国したのだが、帰国してみると済州島の状況は昭和四四年の密出国時と全く変わらず、就職口も皆無であつた。銀三は阪大病院で尿道の手術は受けたものの、その後も継続的な服薬は必要であつたところ、その薬を入手する術さえなかつた。一方において、現実に離れてみると、生まれたばかりの香淑のことが気になり、香淑の顔を見たいという狂おしいばかりの気持に襲われ続けた。
(八) 銀三は投薬の必要性と香淑に対する父親としての情に抗しきれず昭和五三年八月に再び本邦に不法入国したのである。
2 金愛玉関係
(一) 愛玉は、昭和三〇年六月三〇日に本籍地において父金晩植、母朴于蘭の間の三男二女中の第三子として出生した。
実家は農業をしておりましたが、一日三度の食事が出来ず、朝夕にヒエをすするという赤貧洗うが如き状況であつた。
(二) 愛玉はかろうじて小学校は卒業したが、中学校には進学出来ずかといつて就職口も全く無く、家事の手伝いなどをして日々を過ごしていたが、一家の困窮状態を何とかするためには日本に行つて働く外ないのではないかと考えるようになつた。
(三) 愛玉の両親も戦前長い間大阪で生活をしていたことがあり、兄と姉は日本で出生している。また、当時姉は夫に連れられて、不法入国ではあつたが日本に渡り大阪で居住していた。
銀三の場合と同様、愛玉にとつても日本はかつて父母が居住し、兄や姉が生まれた身近に感じられる地であり、憧れの地であつた。
愛玉は一家の困窮を助けるため、兄のすすめもあつて、昭和四六年一二月に本邦に密入国した。やつと一六才に達したにすぎない未熟な年頃であつた。
三 本邦における家族関係
1 銀三と愛玉が昭和五二年に結婚し、同五三年に香淑が出生し、その直後銀三は自費出国したものの、間もなく再び不法入国するに至つたことは既に申し述べている。
愛玉は銀三の不法入国が発覚した当時、自らも自首すべきであると考え煩悶した。
然し、愛玉には生まれたばかりの香淑がいた。自己の済州島での生活体験からして、香淑を連れて韓国に出国しても、養育をしていくことは不可能である。韓国では住居も職もなく、生きて行くことが出来ないと考えて悩み続けているところに、先に申し述べたとおり銀三が再度不法入国してきたのである。
銀三も、愛玉も罪におびえながらも自らのそして特に生まれたばかりの愛児の生存のために、再び本邦での共同生活を営むに至つた。
2 その後、銀三と愛玉の間に昭和五六年一二月二五日に双生児の長男文裕孝、二男文裕亨が出生したのである。
裕亨は体重一、七〇〇グラムの未熟児として出生し、生命が危ぶまれる状態であつたため、出生後直ちに関西医科大学附属病院に救急車で搬送された。
3 右病院において銀三は現金一〇〇万円を提供して、自費による治療を求めたが、病院側は健康保険への加入を強く要求した。
銀三は、健康保険でなければ病院は治療してくれないらしい、そうすると裕亨は死んでしまうかもしれないと考えて困惑していたところ、銀三夫妻の知人で、特に愛玉を妹のように可愛がつてくれている大阪市平野区加美西一―一五―二、宋文子において「緊急事態であるから私が出産したことにして外国人登録をし、国民健康保険に加入すればよい」と申し出てくれた。
4 混乱していた銀三は右の申し出に従い、その結果、裕孝、裕亨の双生児の兄弟は一旦は宋文子の子供として外国人登録されるに至つたが、その後、大阪家庭裁判所の審判を経て右外国人登録の記載は抹消されるに至つている。なお、当時の状況について宋文子は「愛ちやんの悲しんでいる様子を見ていられなかつた。本当に私の子供として養育してあげてもよいと思つていた」と語つている。
四 一家の本邦における定着性
1 銀三、愛玉は製靴を業とする共栄産業株式会社の仕上部門を総括する下請をして日夜真面目に働き、我国の中小企業の分野にいささかの貢献をしている。
その仕事ぶりは堅実で信頼を得ており、共栄産業株式会社の大きな戦力となつていて、右会社においても引き続き本邦において右会社の仕事をしてくれるよう切望している。
2 銀三と愛玉は、前号の仕事により一ケ月平均五〇万円の手取収入を得ており、経済的基盤も安定している。
銀三は、仮放免許可の際、保証人を介して一家の保証金四三〇万円を即時に預託した外に、家族それぞれの名義で現在一、三四〇万円の貯金を有している。従つて、今後周辺に経済的問題で迷惑をかけるようなことがあろうとは考えられない。
納税の問題についても、従前納税したいとは思いながらも不法入国の発覚が恐ろしくなし得なかつたが、今回昭和五八年度分に遡つて納税した。
3 銀三の母の弟である金大公は一家のすぐ近くに自宅不動産を有し、平素から一家に何かと助力してくれているが、今後は更に充分な指導監督を行うことを約して身元引受をしている。
金大公は堅実な会社に勤め、相当な資産を有する信頼出来る人物であり、同人の監督のもとで、しかも本来真面目な人柄である嘆願人らが、何らかの問題を起こすとは考えられない。
4 以上申し述べたとおり、銀三と愛玉は本邦においてしつかりした経済的、人的、社会的基盤を有している。
不法入国という違法を犯したうえのことではあれ、銀三も愛玉も成人に達して後の人生は総て日本で過ごしてきた。日本での生活歴は銀三一六年、愛玉一五年余に達している。両名は韓国において、住居も糧を得る手段もない。
5 香淑、裕孝、裕亨にとつては、事情は更に深刻である。香淑は二年生に達し本邦に沢山の友人も出来た。裕孝、裕亨も保育園に通園し、幼いなりの人的関係を生じさせている。右三名は韓国語を殆ど解せない。
韓国に帰るようなことになると、右三名は言葉の問題で悩み、密出国者という白眼視に悩む結果になることは明らかである。
三人の子供達には何の罪もないのである。
銀三一家の生活環境に、特に三人の子供達の生活環境に、何卒人道上の御配慮を賜りたい。
五 健康状態について
1 銀三は尿道障害の術后性尿道狭窄のため、投薬と時折の通院を要する状態にある。
2 裕亨は先天性尿道奇形のため、昭和五九年一二月一八日兵庫医科大学の教授に執刀をしてもらい第一回の手術を行つた。
第二回目の手術が昭和六一年五月に行われた。手術後も長期の経過観察が必要である。
すなわち、「上記疾患のため昭和五九年一二月一八日陰茎切除と亀頭尿道形成、昭和六一年四月二三日尿道形成術を施行した。新しく形成した尿道は包茎及び陰茎皮膚を利用して作成されたもので、術后一年間は病痕形成のため尿道狭窄の発症の恐れがあり、尿道狭窄が起こると排尿困難、尿道膀胱炎から慢性腎炎をともなう可能性があり、尿道狭窄に対しては、尿道切開術を必要とする」という状態である。
更に、裕亨は未熟児として出生したため、先天性右側下口唇筋マヒ、言語発達遅滞、先天性難聴の障害を残しており、今後の観察、訓練、治療を要する状態にある。
3 韓国、特に済州島の現在の医療水準では、右の両名が適切な加療を受けることは望むべくもない。
送還されるようなことになると裕亨の将来はどうなるであろうと考えると銀三夫妻は夜も眠れないのである。
「どうか、裕亨のために医学の先進国である日本において治療を受ける機会を残してやつて下さい。」これは、両親の血の叫びである。
なお、前述の両親の経済状態からして、医療費の面で、日本国政府に特別の迷惑をかけることはありえない。
六 以上、本件処分は、裁量権を著しく濫用しまたこれを逸脱した違法なものであるから無効である。
第三 執行停止の必要性
一 申請人銀三・同愛玉が不法入国をするに至つたのは、前述した済州島の環境のもとでは自己の生存を全うできないからであつた。これらの状況は今も変わらないところ、申請人夫妻はその後、養育すべき三人の子供を抱えるに至つているのであるから、済州島での生存は更に困難である。
また、韓国特に済州島の医療水準は、日本よりはるかに劣つており、種々の疾病をもつている申請人銀三や特に申請人裕亨が送還されてしまうと、必要とされる加療が受けられなくなることも明らかである。
本件退去強制令書の執行により、申請人らは生活の基盤を総て奪われることになるばかりでなく、申請人銀三・同裕亨は加療の道を絶たれるため生命の危険にもさらされることになつて、回復し難い損害を被ることは明白である。
二 申請人らは、被申請人及び法務大臣を被告として、本日御庁に対し退去強制令書発付処分ならび異議申出棄却の裁決処分の無効確認本案訴訟を提起したが、右訴訟の判決が確定するまでには相当の日時を要すると考えられる。
一方被申請人は、既に申請人らを送還を前提として大阪入国管理局に収容し、近日中に大韓民国に強制送還することを予定している。
申請人らが、退去強制令書に基く収容・送還をされることは、申請人らの訴訟追行自体を不可能とし、申請人らに回復し難い損害を生じさせることも明らかである。
第四 結語
よつて、申請人らには本案判決の確定に至るまで、本件退去強制令書の執行停止を求める緊急の必要があるので、この申立に及んだ。
別紙(二)意見書
意見の趣旨
本件執行停止の申立てを却下する
申立費用は申立人らの負担とする
との決定を求める。
意見の理由
本件執行停止の申立ては、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)二五条二項及び三項の要件を欠き失当であるから、却下されるべきである。
以下この点につき、被申立人の意見を詳述する。
第一 申立人らの経歴について
一 文銀三について
1 申立人文銀三(以下「申立人文」という。)は、昭和二三年七月二三日韓国済州道済州郡旧左邑細花里一四四五番地において出生した韓国人である。
2 申立人文は、同地の国民学校を卒業し、以後中学校の通信教育をうけながら、食堂店員として働いていたが、昭和四四年八月初旬ころ、本邦で稼働と病気の治療の目的をもつて本邦に不法入国した。
3 申立人文は、右不法入国後、大阪府下で工員、プラスチック原料製造工として稼働していたが、昭和五二年春ころから後述のごとく本邦に不法入国して潜在中であつた申立人金愛玉(以下「申立人金」という。)と大阪市生野区内で同棲を始め、結婚した(婚姻申告は昭和五三年三月一四日)。
4 申立人文は、前記3記載の居住地で妻申立人金と同居し、本邦において長女申立人文香淑(以下「申立人香淑」という。)をもうけたが、昭和五三年三月一五日、外国人登録法違反により逮捕され、同年四月二六日、大阪地方裁判所において同法三条一項違反により懲役八月、執行猶予二年の判決を受けた。さらに申立人文は、出入国管理令二四条一号該当容疑で退去強制手続を受けたが、自ら本国で妻子とともに暮らすことを表明して、認定に服し、口頭審理を放棄したため、同年五月二日退去強制令書が発付され、その結果、同年六月一五日、自費出国の手続により本邦から退去した。
5 しかるに、申立人文は、本邦から退去後二か月足らずの昭和五三年八月初めころ、再度本邦で稼働の目的をもつて、有効な旅券又は乗員手帳を所持せずに本邦に不法入国した。
そして申立人文は、申立人金と同居し、大阪市内で製靴業下請をして、昭和五九年一〇月三一日、右不法入国の事実を大阪入国管理局(以下「当局」という。)に探知されるまでひそかに本邦に潜在した。
なおその間、申立人文は、昭和五六年一二月二五日長男申立人文裕孝(以下「申立人裕孝」という。)、次男同文裕亨(以下「申立人裕亨」という。)をもうけた。
また、申立人文は、昭和六〇年二月二八日、大阪地方裁判所において外国人登録法違反により懲役一年、執行猶予三年の判決を受けている。
二 申立人金について
1 申立人金は、昭和三〇年六月三〇日韓国済州道北済州郡朝天面新興里五九〇番地において出生した韓国人である。
2 申立人金は、同地の国民学校を卒業後、家業の農業手伝いをしていたが、昭和四七年一二月中ごろ先に韓国から本邦に不法入国し、潜在中であつた姉金基順を頼り出稼ぎの目的をもつて、有効な旅券又は乗員手帳を所持せず本邦に不法入国した。
3 申立人金は、右不法入国後、大阪市生野区内でサンダルヘップ工として稼働していたが、前記のとおり申立人文と知りあい昭和五二年春ころから同棲を始め、翌年一月三日、長女申立人香淑をもうけ、同年夫である申立人文が逮捕後も引き続き本邦に潜在居住した。
そして申立人金は、その後再度不法入国してきた申立人文と同居し、大阪市内で製靴業下請をして、昭和五九年一〇月三一日、右不法入国の事実を当局に探知されるまでひそかに本邦に潜在した(その間申立人裕孝、同裕亨をもうけたことは前記のとおり)。
なお、申立人金は、昭和六〇年二月二二日、大阪地方裁判所において外国人登録法違反により懲役六月、執行猶予二年の判決を受けている。
三 申立人香淑、同裕孝、同裕亨について
申立人香淑、同裕孝、同裕亨(以下「申立人香淑ら」という。)はそれぞれ昭和五三年一月三日、同五六年一二月二五日、大阪市生野区内において申立人文と同金を両親として出生したものであるが、申立人香淑は在留資格取得の許可申請をすることなく、また、申立人裕孝、同裕亨は、宋文子の非嫡出子として偽つて出生届がなされ、外国人登録法及び「日本に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」に基づく永住許可(以下「協定永住許可」という。)を受け在留していたが両親の所在発覚に伴い同六〇年三月一二日には右協定永住許可も取り消されたため、いずれも法定の期間を越えて本邦に不法に残留した。
第二 本件退去強制令書発付の経緯
申立人らについて出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)二四条一号及び七号に該当する旨の認定がなされ、退去強制令書(以下「退令」という。)が発付されるまでの退去強制手続の経緯は次のとおりである。
一 入国審査官による認定とその通知
(申立人文)
昭和六〇年五月一三日 法二四条一号に該当する旨認定し、通知(疎乙第一〇号証の各一、二)
(申立人金)
昭和六〇年五月一六日 同右(疎乙第一一号証の各一、二)
(申立人香淑ら)
昭和六〇年五月一六日 法二四条七号に該当する旨認定し、通知(疎乙第一二ないし一四号証の各一、二)
二 特別審理官による判定とその通知
(申立人ら)
昭和六〇年六月一三日 前記認定に誤りがない旨判定し、通知(疎乙第一五ないし一九号証、疎甲第一号証の一ないし五)
三 法務大臣に対する異議の申出
(申立人ら)
前同日 異議の申出(疎乙第二〇ないし二四号証)
四 法務大臣による裁決
(申立人ら)
昭和六一年一月三〇日 異議の申出は理由がない旨裁決(疎乙第二五ないし二九号証、以下「本件裁決」という。)
五 主任審査官による裁決の告知及び退令の発付
(申立人ら)
昭和六一年二月一〇日 前記裁決を告知し、退令を発付(疎乙第三〇ないし三四号証)
六 退令の執行と仮放免
(申立人ら)
昭和六一年二月一〇日 退令を執行し当局に収容
(申立人金、同香淑ら)
右同日、申立人裕亨の病気治療の必要性を考慮し、仮放免許可(疎乙第三〇ないし三四号証)
(申立人文)
昭和六一年二月一四日 前同様の必要性を考慮し仮放免許可(疎乙第三五号証の一ないし三)
(申立人ら)
昭和六一年一一月一七日 再度退令を執行し、当局収容場に収容(疎乙第三〇ないし三四号証)
昭和六一年一一月二〇日 大村入国者収容所に移送し、現在同所に収容中(疎乙第三〇ないし三四号証)
なお、申立人らは、本月の集団送還により、送還予定のものである。
第三 本件申立ては、本案について理由がないことが明らかであることについて
一 申立人らは、本件本案訴訟において、本件裁決及び本件発付処分(以下「本件各処分」という。)がいずれも無効である旨主張しているが、本件各処分は前述のとおり適法になされていることは明らかである。
そもそも行政処分が無効であるとされるためには、当該処分に重大、かつ、明白な瑕疵が存在しなければならないと解されているところ(最高裁昭和三四年九月二二日判決、民集一三巻一一号一四二ページ)、右にいう瑕疵が明白であるというのは、処分成立の当初から、誤認があることが外形上、客観的に明白である場合をいうのであつて、したがつて、瑕疵が明白であるかどうかは、処分の外形上、客観的に、誤認が一見して看取し得るものであるかどうかにより決すべきものとされているのである(最高裁昭和三六年三月七日判決、民集一五巻三号三八一ページ)。
右本案訴訟において、申立人らは、本件各処分の無効事由として、要するに、日本国憲法に照らして、本件各処分に裁量権を著しく濫用し、また、これを逸脱した違法がある旨主張するのであるが、これらの主張は単なる違法主張としては格別、処分の無効の主張としては失当であることはその主張にかかる瑕疵が無効原因たるべき右二要件のうち、重大性の要件はともかくとして、明白性の要件を欠いていること、すなわち、本件各処分の外形上、客観的に一見して看取し得る程度の瑕疵となるべき性質のものではないことから明らかである。
そうだとすれば、申立人らは右以外の無効原因は何らこれを主張していないのであるから、結局本件各処分の無効を主張しながら、その無効原因たるべき事由は一切これを主張していないことに帰着し、したがつて、本件申立ては本案につき理由がないとみえるときに当たるものである。
二 申立人らは本件発付処分について、裁量権の濫用又はその範囲の逸脱による違法を主張しているが、次に述べるとおり退令発付処分は裁量の余地のない覊束行為であるから、本件発付処分の違法に関する右主張は瑕疵の程度を問題とするまでもなく失当である。すなわち、
1 国家は、条約等特別の取決めの存しない限り、外国人に対しその入国及び在留を許可するかどうかを自由に決することができ、その反面として、外国人は当該所属国以外の国家に対しては、入国及び在留の権利を有するものでなく、このことは国際慣習法上の大原則として認められているところである(最高裁昭和三二年六月一九日判決・刑集一一巻六号一六六三ページ、東京高裁昭和三二年一〇月三一日判決・行裁例集八巻一〇号一九三〇ページ、最高裁昭和三四年一一月一〇日判決・民集一三巻一二号一四九三ページ参照)。
我が国における出入国関係を規律する法としては出入国管理及び難民認定法が存在するが、同法も右の国際慣習法を前提として定められているのであつて、その入国及び在留に関する処分は、原則として自由裁量処分であることは多言を要しない。
2 法五〇条所定の在留特別許可(以下「特在許可」という。)も法務大臣の自由裁量により決せられるものであることは、法の性格及び法五〇条の規定にも何らの制限が付せられていないことからして明らかであつて、この点は判例上も確立しているところである。
特に、特在許可は、外国人の出入国に関する処分であり、当該外国人の在留状況等の個人的事情のみならず、公安、衛生、労働事情等の国内事情及び国際情勢、外交政策等の対外的事情が総合的に考慮されるものであることから、同許可の裁量の範囲は極めて広範囲にわたることとなる。
また、特在許可は、退去強制事由に該当することが明らかであつて、当然に本邦からの退去を強制されるべき者に対し、特に在留を認める処分であることから、他の一般の行政処分とは異なり恩恵的措置としての性格をも有していることを重視すべきである。
3 そして、右のような自由裁量行為の裁量権行使についての司法審査は、「一応、処分権限を与えられた行政庁の自由に任されているものなどであるから、裁判所は、右のような行為について裁量権の逸脱、濫用により違法となるかどうかを判断するにあたつては、処分をした行政庁と同一の立場に立つて当該具体的事案について裁量権の行使はいかにあるべきかを判断し、その判断の結果を行政庁の判断に置き代えて結論を出すことは許されず、あくまでも、それが行政庁の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断要素の選択や判断過程に著しく合理性を欠くところがないかどうかを判断すべきものであることは当然である。」(越山安久・最高裁判所判例解説民事編昭和五三年度四四五ページ)と解されており、これが確定した最高裁判例でもある(最高裁昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一二二五ページなど)。
右法理は、法五〇条一項三号の特在許可の付与に関する法務大臣の自由裁量行為の裁量権の行使についても当然に当てはまるものというべきである。すなわち、法が特在許可の付与を法務大臣の自由裁量に委ねることとした趣旨が、前述のとおり特在許可の許否を的確に判断するについて、多面的専門的知識を要し、かつ、政治的配慮もしなければならないとすることによるものであることからすると、その判断は、国内及び国外の情勢について通暁し、常に出入国管理の衝に当たる者の裁量に任せるのでなければ到底適切な結果を期待することができないからであり、それゆえ、裁判所が法務大臣の裁量権の行使としてなされた特在許可の許否の決定の適否を審査するに当たつては、法務大臣と同一の立場に立つて右特在許可をすべきであつたかどうか又はいかなる処分を選択すべきであつたかについて判断するのではなく、法務大臣の第一次的な裁量判断が既に存在することを前提として、右判断が社会観念上著しく妥当性を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められるかどうかを判断すべきであるものというべく、しかして右逸脱、濫用したものと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。
4 また、特在許可の裁量権の範囲を考えてみるに、前述のとおり同許可は自由裁量処分であるから、この点だけを考慮するにしてもそれが裁量権の範囲の逸脱又はこれを濫用したとして違法との評価を受けることは稀であるといえるが、更に特在許可は、前述のとおり、その考慮されるべき対象自体が個々の外国人の個人的事情に加え国際情勢及び外交政策等の客観的事情等広い範囲に及んでおり、それに伴い右裁量の範囲も極めて広範囲にわたつていること、また特在許可自体恩恵的措置としての性格を有していることを併せ考えると、それが違法との評価を受けるのは、ますます限定的に解されることとなるのである。この点に関連して最高裁昭和五三年一〇月四日大法廷判決(民集三二巻七号一二二三ページ・マクリーン最高裁判決)は、在留期間を一年とする上陸許可の証印を受けて本邦に上陸した当該原告がその後一年間の在留期間の更新を申請したところ、法務大臣は一二〇日間の在留期間の更新を許可したので、当該原告はその後更に一年間の在留期間の更新を申請したが、法務大臣は右更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものといえないとして右更新を許可しないとの処分をしたので、右処分の取消しを求めた事案であるが、右判決において最高裁は、出入国管理令(注、現在は法)二一条三項の法務大臣が外国人の在留期間の更新を許可するかどうかの裁量権について「裁判所は、法務大臣の右判断についてそれが違法となるかどうかを審理、判断するに当たつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができるものと解するのが相当である。」と判示している。
このような観点から法五〇条一項三号の法務大臣の特在許可の付与についての自由裁量権の範囲についてみてみると、外国人の在留期間の延長は憲法上保障されたものではないにしても、当該外国人は、当初適法に在留していた場合であり、また、在留期間更新の申請権も認められているのに対し、特在許可の付与が問題となるのは通常の場合、当初から違法に在留している不法入国者に関してであり、それらの者については特在許可の申請権も認められていないのであり、また、法文上も在留期間の更新について定めた法二一条三項は、「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができる。」とするのに対し法五〇条一項三号は、「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」特別に許可することができると規定している。
このように、被処分者の権利・利益の点からみれば、在留期間更新の場合の外国人の方が特在許可の場合に比して法律上はより保護されており、また、法文上も在留期間の更新を認め得る場合について、特在許可を認め得る場合に比してより緩和して規定しているものということができることからすると、法務大臣の特在許可の付与についての自由裁量権の範囲は、在留期間の更新の場合の法務大臣の裁量権よりも広く、それゆえ裁判所の審査の及ぶ範囲は狭くなるというべきである。
そうすると、法務大臣の特在許可についての裁量権の行使が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法となるのは、前記在留期間の更新に関する最高裁の示した基準より更に限定されることは明らかであるから、法務大臣の特在許可についての裁量権行使が違法となるかの判断に当たつては、最高裁昭和五三年一〇月四日大法廷判決の示した「法務大臣の判断が裁量権の行使としてされたものであることを前提とすること」「右判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか」「事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうか」との基準を少なくとも違法となる最大限の場合として、それよりも限定して解釈すべきであると思料する。
三 そこで、すすんで本件が「本案について理由がないとみえるとき」に当たることを明らかにする。
1 既に、第一で述べたとおり、申立人文及び同金は、いずれも本国において出生し、引き続き、同国内で生育、稼働していたものであり、右両名の不法入国の動機は主として稼働の目的であつたに過ぎない上、申立人文は、昭和五三年に不法入国の事実が発覚し、退去強制手続を受けるとともに外国人登録法違反により刑事罰に処せられたにもかかわらず、あえて僅か二か月足らずのうちに、再度本邦に不法入国してきたものであり、また申立人金は、このように夫である申立人文が退去強制手続を受けている間、不法入国の事実を申告することなく、引き続き本邦に潜在していたものである。
申立人らは、経済基盤等本邦における定着性を強調するが、本邦での生活関係は、前述のような違法の上に築かれたものであつて何ら法的保護に値しない、いずれ清算を余儀なくされるものであり、いわんや右不法入国の違法性は歳月の経過により何ら治癒されるべきものではなく、また退去強制に値する不法入国でなくなることもないのであるから、何ら「本案について理由がないとみえる」かどうかの判断要素となりうるものではないのである。
そして、前記のような事情よりすれば、申立人らは、いずれ清算されるべき地位であることを十分認識、認容しつつ、あえて不法入国したことが十分伺われるところである。
2 申立人文及び同金の本国における経歴、年令、健康状態などからみて申立人ら家族がその本国において生活して行くことは十分可能であることは明らかである。
申立人文は、現在本邦において銀行預金等約一八〇〇万円を有しており、本国に帰国する際にはそれらを払戻しして相当額の現金を持ち帰ることができるのであつて、右金額は日韓両国の貨幣価値の相違を考えれば、相当高額に達するものであるから、韓国における申立人ら家族五人の生活に何ら不安はない(なお、一〇月三日現在日本円一〇〇円は韓国ウォン五七二・四九ウォンである―疎乙第六九号証―ところ、申立人らは約一億ウォン以上の金員を所持することとなるのであり、また、一九八三年現在の韓国人の平均賃金が月二七万三一一九ウォンである―疎乙第七〇号証―ことからすると、申立人らの所持金を一八〇〇万円として単純計算をしても約三一年分の賃金に相当する。)。
そして、申立人香淑らが日本人同様の生活を送り教育を受けているとの主張については、前記1のとおりいずれも申立人文及び同金が不法入国したことによつて違法状態の上に積み重ねられてきたものであり、これらをもつて特在許可を与えるべき理由にはならないというべきである。申立人香淑らは、申立人文及び同金を父母とし、その扶養を受けている者であるから、父母とともに本国へ帰国することは当然であつて、申立人香淑らが、仮に、日本人と同様の生活を送り、かつ、教育を受けていたとしても、それが申立人ら一家五人が本邦に在留しなくてはならない理由とは認められず、申立人香淑らについては帰国後は本国の教育機関で教育を受け自国語も学べるのであるから申立人香淑らの教育問題を強制送還の障害事由とみることはできない。
さらに、申立人文及び同金には、同時に退令を発付された申立人香淑らを除いて本邦にその扶養を必要とすべき親族は在住しておらず、本国には、申立人文については母を初めとし多数の兄弟らが、また同金については、両親、兄、姉及び弟ら多数の親族が生活しているのであるから、申立人らのみが本国で生活を維持できないとは到底考えられないところである(疎乙第四六、四七号証)。
3 申立人文及び同裕亨の健康状態について
(一) 申立人らは、申立人文について術後性尿道狭窄の疾患があると主張する。
しかし、申立人文がその手術を受けたのは昭和四七年五月が最後であり、その後一四年を経過しており、現在は通院しておらず、予防のための投薬のみを受けている状態にある(疎乙第四三号証の一、二)。
また、申立人裕亨は申立人ら主張のように先天性尿道奇形(尿道下裂)を有しているが、これについては昭和五九年一二月尿道形成の手術が施行されており、経過観察中であるが日常生活に重大な支障は認められない(疎乙第四五号証の一、二)。また、同申立人は、先天性右側下口唇筋麻痺等の障害を有しているものであるが、これらの障害はいずれも先天性のものであつて、一年に数回の脳波等の神経学的検査を行つているものの、直接的治療は何ら行われていない(疎乙第四四号証の一、二)。
以上の状況にある申立人らについては、医療上の措置の必要性は一応認められるものとしても現在取られている治療内容からしてその必要性をもつて申立人らの本邦での在留を特別に認めないことが著しく人道に反するものとは認められない。
(二) なお、仮放免後の申立人裕亨の治療経過は次のとおりである。
申立人裕亨は、仮放免許可を受けた後の本年二月二五日、関西医科大学付属病院に入院し、同年三月六日、口蓋形成術の手術を受け、同月一八日には軽快退院している(疎乙第五六号証)。さらに、同申立人は、兵庫医科大学病院に入院し、本年四月二三日第二回目の尿道形成術の手術を受け、五月六日に退院している(疎乙第五九号証)。同手術に要する経過観察期間は、特に抗生物質の投与等の治療を要する合併症発症の危険性が高い三か月間(通常の観察期間としては右期間を含め六か月間)とされているが、現在いずれにしろ右期間を経過している。同申立人については、右退院後当初心配されていた合併症等特段の治療を要する症状の発現もなく、現在は月一回程度病院へ通院している状態にある(疎乙第六七号証)。そして、現時点においても尿道狭窄の発症の恐れがあるとされているものの、その発症の危険性は医学的見地からしての可能性の問題であり、その危険性は如上の良好な治療経過からして具体性を持つたものではないことは明らかである。また、たとえ将来同申立人について現実に尿道狭窄が発症したとしてもそれは稀有な疾病でもなく韓国内においても十分治療可能であるし、我が国としても同申立人が本邦において相当期間特定の病院で専門医から継続して治療を受けて来たことを考慮し、経過観察を含め同人の本邦での治療を目的とする入国の申請があつた場合は短期間の入国を認める方針であり、このことは申立人らに対し通知されている(申立人らは送還後一年間は上陸拒否事由該当者(法五条一項九号)であるが、法務大臣による上陸特別許可の制度のあることについては法一二条一項参照、疎乙第六八号証)。
第四 回復困難な損害を避けるための緊急の必要性について
申立人らは、本国に送還されること自体により、回復し難い損害を被るかのように主張するが、右主張は失当である。すなわち、このような解釈は、退令被発付者が、無効確認訴訟等の提起と共に執行停止の申立てさえすれば、その本案訴訟が訴訟要件を欠くなどして却下される場合を除き、ほとんどの場合、送還部分の執行停止を決定しなければならないこととなり、結果的に執行停止の申立てをすることに執行停止の効力を認めたのと同様になつて行訴法二五条一項が規定する「執行不停止の原則」に反するものであり、法の到底許容するところではない。
さらに付言するに、本件のような退令発付処分の違法を争う入管関係の訴訟においては、この執行停止制度が当該外国人の違法な本邦在留状態を少しでも引き延ばすための手段として利用されるのが一般である。すなわち、退令発付処分を受けた外国人は、当該処分に対する抗告訴訟等を提起し(その理由としては、退去強制事由に該当する事実の存在することを認めた上で、在留特別許可に関する法務大臣の自由裁量権の行使の違法をいうのがほとんどである。)、退令の執行が実施されるとみるや退令の執行停止を申し立て、その執行停止を得ることにその目的を置いているのである。そして、いつたん、その執行停止決定を受ければ、以後は本案判決を引き延ばし退令発付時とは比較にならないほど退令の執行が困難になるような状態を築きあげ、最終的に本案訴訟が被申立人の勝訴に終わつても裁判中に築いた生活状態を理由に退令の執行を困難ならしめるのである。
本件においても、申立人らが、執行停止制度を、右に述べたように、違法な本邦在留状態の引延しの手段として利用していることは明らかである。
しかも、本件は、不法入国の事実について争いのない事案であることにもかんがみると、送還部分の執行停止の裁判は、それ自体、申立人らの本邦への居座りを助長するものであり、ひいては同種事案における不法入国の誘発、助長をさせることにもつながり、入国管理行政に多大な支障を生じさせるものであつて許されないのであり、以上の諸事情を考慮するとき、本件強制送還の実施が相手方らに回復困難な損害及びその損害を避けるための緊急の必要がある場合に当たるとは到底認められないことは明白である。
第五 退令の執行を停止することが公共の福祉へ重大な影響を及ぼすおそれがあることについて
一 退去強制の実施については、被退去強制者が速やかに所定の送還先に送還し、もつて我が国社会にとつて好ましくない外国人を排除するという目的を達するため、その時期、方法等について高度の政治的判断、応変の措置等が必要とされるのである。しかるに、退令の発付を受けた者が無効確認訴訟を提起し、あわせて退令の執行停止を申し立てた場合、単に本案訴訟の提起、係属を理由に安易に退令に基づく送還停止を認めるとすれば、本案訴訟の係属している期間中、このような不法入国者の送還を長期にわたり、不可能とすることになり、出入国管理行政に対し、これを長期間停滞させるとともにはなはだしい打撃を与えるばかりか、送還先の国(本件の場合は申立人文及び同金が密出国した韓国)の受け入れ準備を無意味ならしめ、日本国の国際上の信用を著しく損なうものであつて到底容認し得ないものである。
二 前記のとおり、退令を発付された者は、その執行を受け収容されることになるが(法五二条五項)、この退令収容の目的は単に送還のための身柄の確保のみならず、被退去強制者を隔離してその在留活動を禁止することにある。
一方、退令を発付された外国人は、退令収容された場合でも収容を継続することが妥当性を欠くなどの事態に至つた場合には、住居及び行動範囲の制限、呼出しに対する出頭の義務、その他必要と認める条件を付し、更に三〇〇万円以内の保証金を納付させ、保証人を立てさせる等して在留活動を制限し例外的措置として期限を区切つて仮放免をなすことができることとなつている(法五四条二項)。
しかるところ、仮に退令発付された申立人らに対して、送還部分のみならず収容部分までその執行を停止することになれば、正式に入国し適法に在留する外国人が法による規制を受けるのに比し、違法な入国、不法に在留する者らを法の定める何らの規制を受けることなく全くの放任状態のまま司法機関によつて公認された形で在留させる結果になるのである。
このことは、裁判所が行政処分に積極的に干渉して仮の地位を定める結果を招来し、行訴法四四条の趣旨に反し三権分立の建前にも反するものであるばかりか法の定める外国人管理の基本的支柱たる在留資格制度(法一九条一項)を著しく混乱させるものであり、仮放免許可と異なり申立人らを何らの規制を受けることなく野放し状態で在留させることとなるのである。
また、収容部分までの執行を停止するとすれば、申立人らの仮放免中、保証金を納入させる等の逃亡防止を担保するいつさいの手段がなくなり、逃亡により退去強制令書の執行を不能にする事態も当然考えられるのであり、このような事態は本件同様、不法入国する者を誘発、助長するものであつて、公共の福祉に重大な影響を及ぼすものである。
第六 以上のとおり、申立人らの本件申立ては、いずれも執行停止の各要件を欠くものであるから、貴裁判所におかれては速やかに本件申立てを却下されるよう意見を申し述べる次第である。